こんにちは、すみです!
きのう、月曜、体調不良で仕事をお休みしました。
せきがひどい。(熱はない)
平日の朝、仕事を休むのにためらうことってだれしも経験しませんか?
ワタクシも1、2年前はためらいました。
なぜためらうのか?
結論からいうと、
休むときにためらう理由は、「休む習慣」がたりていないからです。
ラジオでもおはなししました。
休む習慣がたりていない理由
なぜわたしたちは休む習慣がないのでしょうか?
それは、
小学校や会社、あるいは家庭の環境や風習が休む習慣をなくした
といえます。
小学生のころは、一日も休まないひとが皆勤賞をもらって休まないことが美徳とされました。
会社でも、体調不良でも、歩いて会社まで辿り着けるのであれば出社するのががんばりである、そんな価値観はなかったでしょうか?
少なくともワタクシの会社ではありました。
ここでの大切な問題は、会社でもなく、学校でもなく、自分ということです。つまり、他人と過去は変えられないということです。
他人(自分以外の人、会社や学校など機関も含む)の責任にしていては解決しません。
自分の問題におきかえてみると、休みにくさの原因がみえてきます。
- まわりの目
- 仕事の遅れの恐怖
- そもそも休む習慣がない
休む習慣はこうやって取り戻す
じゃあどうすればいいのか?
こたえはカンタン、きのうのワタクシのように一回休んでみたらいいんです。
半年前にくらいにも同じように疲れがたまって休みました。
いま振り返っても、自分のカラダを大切に考えた自分を褒めてあげたいきもちになります。
他人の目がきになるかどうかなんてあとになってみたら忘れますw
こうやって、「休む習慣」をみにつけます。
なにかの本に書いてありました。
それは、
自分を大切にしないひとは周りからも大切にされない
ということです。
仕事優先でがんばっているひとがいたら、「このひとは多少の無理がきく」というレッテルが貼られます。
だから、休むと期待を下回ってしまい不満になります。
逆に、自分のカラダを大切にして休むひとは、無理をさせないようにまわりも気づかうのではないでしょうか。
ポイントは、両者ともに、どちらが良い悪いということでもなく、普段の仕事をきちんと進めていればさほど気にならないということです。
そう考えると、周りの目を気にしているのは、自分の問題なのかもしれませんね。
まとめ
さて、そういうわけで、ゆっくり回復させながら仕事にとりかかろうとおもいます。
将来、歳をとった自分が過去を振り返ったときにきっと自分をいたわったことを嬉しく思える人生にしたいですね。
きょうも良い日にしましょう!
今回の内容がどなたかのお役に立てば幸いです。
では、またあした!
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