こんにちは、すみです!
今回のお話しは、
“全体最適”の落とし穴と題して、「全体最適が大事だいうだけの評論家にはなるなと言ってる自分がそうなっていてマジでビビった(自戒込めて)
です。
少し話は変わりますが、
大抵のことは、
インターフェース部分の問題であることが多いと感じています。
インターフェースとは、
モノとモノをつなぐものだったりそのつなぎ目だったりします。
たとえば、
「会社の組織間」の話でいうと、
営業部門と技術部門が一致団結しよう、
それぞれの部門だけの事情だけ考えるのではなく全体最適で考えよう、
とはよく言ったもので、
それぞれの役割のスキマに問題が起きることがよくあります。
また、
「飲み会幹事」の話でいうと、
進行につまずく多くのポイントは、
①一次会〜二次会の円滑な案内、
②縁もたけなわになってきた状態〜締めの挨拶への移行など、
ある状態からある状態へ遷移するときにうまくいかないことが多いです。
いずれも、
物事の部分的な視点だけだと失敗するから全体最適で考えるべき
だと学びました。
ここでの落とし穴は、自分は全体最適の視点をもっているが環境が(誰かが)してくれないから問題だと評論家になっていることに気づいていない
ということです。
ワタクシは、かつて大規模プロジェクトに参画した際に自分の担当範囲を含む全体がうまくいっていないことは、全体を統括するリーダーに問題がある、と思っていました。
ところが今振り返ると、全体どころか、自分の担当範囲が一番トラブルになりました。
つまり、
自分は全体最適の視点を持っていること自体が大切だと思い込んでいた
ということです。
つまり、”全体最適評論家”ということです。
じゃあどうすればいいか?
答えは、
“全体最適的部分”になることだ
ということです。
どういうことか?
20年近く前のワタクシが新人時代に、ある先輩が朝会でこんなことを所感で述べていました。
それは、
ある商店街の朝の光景で、ある店の店主が、自分の店の前だけでなく隣の店の前も掃除していと、それを見て、仕事において、そういうお店のような考え方が大切であると。
その話が今でも記憶に残っています。
商店街(全体)を良くするためには自分のお店(部分)の前を綺麗にした上で隣のお店にも気を配るとよくなる
これが、”全体最適的部分”ということです。
例えがヘタすぎてすいません(笑)
ニュアンスが伝われば幸いです。
では、またあした!
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