こんにちは、すみです!
あなたは言いたいこと、言えていますか?
日本人はよく「我慢は美徳」と言いますが、本当にそうなのでしょうか?
■いきなり結論
結論から言うと、生きていく上で我慢や忍耐は必要ですが、過剰で無意味な我慢は単なる思い込みだからやめて、自分を出して、自分を生きやすくすることが大切です。そして、その方法は、今の世界(学校や会社)だけじゃなく、外の世界もあり、自分はそこへいくこともできるんだ!という「自由」に気づくことだと思います。それには、外の世界へ行けるよう自分を磨くことも必要ですね。
今日はその辺を分解して考えてつらつら書きたいと思います。
■はじめに
私はホリエモンの書籍が好きでよく購入するのですが、あるとき、なぜなのか?と自問しました。
それは、言いたいこといえなかった自分を変える後押しをしてくれるなぁ~と思わせてくれるからだとふと気づきました。
みなさんは言いたいこと言えているでしょうか?また、その結果に満足しているでしょうか?統計をとったわけではないので、事実はわかりませんが、実は満足していない人って多いのでは?と思っています。私もその一人です。
■我慢は美徳?
昔、母から、愚痴を言わずに毎日会社に行く父親をスゴイよねとよく聞かされていました。なので、愚痴を言わないことがスゴイと思っていました。また、愚痴を言うと相手との摩擦を生んでお互いに嫌な気持ちになるんじゃないかと思い、ネガティブな言動は避けてきました。
しかし、よくよく考えてみると我慢しているベクトルが違うような気がします。
■愚痴と意見は違う
お恥ずかしながらこの辺の違いがよくわかっていませんでした。言葉の意味を改めて調べてみると以下でした。
愚痴
言ってもしかたのないことを言って嘆くこと。
意見
ある事についてもっている考え。
まったく違いますね。
意見を言うことは建設的な議論を進める上で必要な行動ですが、反対意見を言うと雰囲気が悪くなるのではないか?とか、笑われるんじゃないか?とか、想像してしまい発言を我慢して何も言えない人でした。
あるとき、転職や起業のことをぼんやり考えていたときに、会社に居ない自分を想像するとすーっと楽な気持ちになり何でいままで窮屈な考え方だったんだろうと思い返すことがありました。
つまり、その経験から、いかに会社(学生なら学校))という「狭い世界観」が自分の行動を縛っている原因だと気づきました。
■どうすれば言いたいことを言えるようになるのか?
今自分が置かれている世界(学校や会社)の外に目を向けてこの世界だけじゃないと気づくことが大切だと思います。
また、もし過剰な我慢をしてしまっている場合はは見直すと良いと思います。過剰な、というのは相手も求めていないようなことを自分の思い込み(幻想)でやってしまうことです。「忖度」(そんたく)という言葉があるようですが、その忖度は実は相手は求めていないので?と現状の自分の考えを否定してみるのも良いと思います。
私の感想としては、我慢をやめてみると自分の気持ちが楽になって生きやすくなりますし、その方が周りとの関係が良化するように思っています。
■まとめ
いかがだったでしょうか?
考え方次第で行動は変えられます。
なので、生きやすくできるのは自分だ!と思って生きやすくなる選択をしていきましょう。
お互い頑張りましょう!
では、また!
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